時事自考

時事ネタを中心に個人的な考察を上げていきます。

好き嫌い以前の問題という大問題

よく言われる話ですが

「好き」の反対は何か?という話があります。普通に考えたら「嫌い」が正解なのでしょうけれども、「無関心」であるという場合もあります。

これは、あくまで軸と見る観点の違いではありますが、「好き」も「嫌い」も「関心がある」という前提の軸上で見た場合は確かに反対の意味となります。「無関心」を反対という場合は「関心がある」ことに対しての反対の意味として捉えることができます。

こういう話をしたのも、こちらの記事を見て、感じたことです。

こちらの記事の選挙目当てのパフォーマンスという点はとても同意できます。これは以前にも書きましたが、今回は広島というカードを切っただけに過ぎず、沖縄というカードは温存しているためです。

しかし、この記事の方は広島や被爆者を大嫌いだと思っている点については、少し観点が違います。どちらかといえば、この方は安倍首相に対して、それなりに評価をしている素晴らしい方です。

私個人の考えとしては、安倍首相の広島や被爆者に対しての観点は無関心だと思っています。好きでもないし、嫌いでもない、というより、どうなってもいいと考えているレベルだと考えています。

コピペであることの意味

こちらの方がコピペ演説を証拠として「嫌っている」と考えているようですが、その可能性も全く無いわけではありません。嫌っているからこそ手を抜くというのは非常に合理的ですから。しかし、自分としては安倍首相は無関心、例えるなら相手のことを家の外で鳴いているセミ程度にしか考えていないと思っています。それが多少うるさかったとしても、何かしていたり考えていたりすれば、全く気にならなくなる程度ということです。

それゆえに、具体的な行動も取らず、コピペで十分と考えているのだと思います。いや、それでもまだ過大評価ではあります。

この参考になる記事は非常に多いですが、こちらの記事もその一つです。サミットでのKY発言についての記事ですが、これが安倍首相の本質を表しています。

どういうことかというと、自分は安倍首相は無能だと考えているためです。もちろん、彼自身が言葉や文章を考えたりする意志や能力が無いことは、コピペを使っていることからもわかりますが、そもそもコピペで十分という程度も考えることができないレベルです。

端的に言えば、周りの人の書いた作文を読み上げるだけのロボットみたいなもので、AIの方がマシというレベルなのではないでしょうか?

安倍首相に限った話ではありません

ここでは安倍首相を例に挙げていますが、日本では「丸投げ」という文化があり、そう言った場面を多々見ることができます。

「よくわからないから」と言って、さわりを理解することもしない人たちは少なからずいます。もちろん、そうでない方の方が圧倒的多数ではありますが、「丸投げ」派の方が日本では大きな力を持っている場合が多いため、目立つだけに過ぎません。

今の日本の経済が停滞しているのは、圧倒的多数のまともな人の力よりも、少数の「丸投げ」派の力の方が大きいためなのは間違いありません。

もちろん、アメリカのようにまともな人が成功して大きな力を持つのであれば良いのですが、日本はそう言った人が力を持つと、寄ってたかって潰そうとする動きがあります。なぜなら、日本の「丸投げ」派はマスコミ関係に力を持っており、国民を誘導するためです。

潰された例は少なくありませんが、堀江さんとか、小保方さんとかは、個人的にそうだと考えています。もし、日本を復活させたいと考えるのであれば、国民一人一人が脱マスコミを目指さないと難しいでしょう。