時事自考

時事ネタを中心に個人的な考察を上げていきます。

対応さえ誤らなければ、許される文化

舛添都知事が辞職してしまいましたが

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実際のところ、使途が不適切であったとはいえ、違法ではなかったことからも、彼が都知事職を辞する必要は全くなかったと思います。もっとも、彼を擁護するわけではありませんが、実際に税金の私的流用という意味では安倍首相や石原前都知事の方が断然金額は大きいと言えます。

こと安倍総理に至っては、税金だけでなく国民の資産である年金を株価操作のためだけに注ぎ込んで、舛添都知事の数百倍の金額である数兆円を溶かしたわけです。もちろん、私的な利用として様々なものを購入しているのも判明しています。

こういった状況でも叩かれないのは、単純にマスコミならぬマスゴミに圧力を適切にかけているから、というのが事実ですが、舛添都知事との違いは対応の適切性と表向き語っていることがあります。

簡単に言えば、「税金を大量に使い込んだけど、対応が適切だったから非難されなかった。」という理論です。これは裏を返せば、対応を適切に行えば、いくら使い込んでもお咎めなし、ということになります。

何を馬鹿な?!という感じではありますが、実際の状況として、そういう形になっているのが実情であります。

印象と感情に左右される判断

たいていの人は印象と感情に左右されて判断している、というのが自分の一般的な認識ですが、このような文化的背景を考えると、ありえない話では無いような気がします。むしろ対応が適切な相手を追求しようとすると、曖昧な情報だけで追求するのはどうだろうか?と逆に非難されることも少なくありません。

しかし、このことは一部の人が韓国などを非難するときに使うダブルスタンダードということと全く同じものです。

このような状態は正しい判断を行うのが非常に難しくなるのは自明ですが、そのことを実感したのが、ポスト舛添として立候補しようとしたワタミの渡辺さんについてのコメントです。確かに、彼はブラック企業の社長として印象は最悪です。しかし、税金を支払うお客様である都民から考えれば、うまく機能すれば綱紀粛正してサービスが向上する可能性があります。

もちろん、ブラック企業基準で支持される都議員や公務員は悲惨でしょうけれども、都民にとって公務員が苦労することに同情する必要はありません。

しかし、彼への反応はブラックという印象だけが一人歩きしており、サービスを受ける客としての都民の視点が抜け落ちています。このことからも、正しい判断ができていないように感じます。

対応次第で許される、というのは人のいい詐欺師に騙されるのと同じ

この対応次第で許されてしまうという状況は、例えるなら一見して人のいい詐欺師に騙された金銭を巻き上げられてしまう状況と全く同じになります。

現に、舛添都知事だけでなく、安倍首相をはじめ、多くの官僚や議員においても、そういった私的流用が行われているという事実があるためです。これは「安倍総理はいい人だから、多少そういうことがあってもしょうがない」という詐欺師に騙されている人の弁と同じになりがちです。

こういう状態を放置することは、将来的に見て大きな損失を背負うことになりますので、早く気づいて対処することが肝心です。