時事自考

時事ネタを中心に個人的な考察を上げていきます。

慈悲深い世界

先の記事で書いていた「慈悲というものは、この世界の仕組みそのものである」という話になります。

この世界の仕組みとして、願うことは(いつかは)必ず実現するというものがあります。

これはいい意味でも、悪い意味でも当てはまります。

よくある話として、ネガティブな人は運が悪い、というのもありますが、これも真実で、ネガティブな人はほぼ常にネガティブな思考をしているので、それが願いとなって実現されてしまうわけです。

また、前の記事にも書いてありますが、内容が正しくなかったり、不十分だったりした場合にも、それに応じた実現のされ方があります。

 

願いについては、先の記事に書いてありますので、そちらを見てもらうとして、この世界の仕組みについて、話をできればと思います。

この世界の仕組みとして、割とポピュラーなものの一つに「輪廻転生」というものがあります。

ご存知の方も多いかと思いますが、輪廻転生というのは、死んだあと、別の存在といて生まれ変わることを指します。

生まれ変わり先として一般的なのは、地獄、餓鬼、畜生、人間、修羅、天人の六道となります。

普通のイメージだと、畜生(この世界の動物のこと)はともかく、それ以外は全く別の世界という風に考えている方が多いかもしれませんが、私の考えだと、これら六道は全て理の異なる同じ世界となります。

 

同じ世界と言うと、地獄とか餓鬼、修羅とか天人を見たことがない、というかもしれませんが、同じ世界でも、理の違う世界を見るのは非常に難しいことになります。

例えば、現在、ウクライナとロシアが戦争状態ですが、その状況を正確にみている人はどのくらいいるのでしょうか?

仮に映像で見たとして、撮影した映像とみている映像が完全に同一である、という前提の下で成り立っている話であって、本質的には絵で見ているのと大差ありません。

世界中の映像や情報が得られるからといって、実際に人が認識できるのは自分の手の届く範囲しかなく、それ以外の世界は情報により構築された仮想的なものとなります。

さらに言えば、人が認識をする際には自分の理に当てはめて理解する(バイアスのこと)ため、通常は理の違う情報を的確に処理することはできないため、実際にそういった世界があったとしても、認識できない、ということです。

 

「慈悲」の話をするにあたって、「輪廻転生」の話をしたのは何故かというと、通常の願いであれば、そのまま実現することが可能ですが、理を変える必要がある願いに関しては、「輪廻転生」を通して実現することになるためです。

 

分かりやすい例でいえば、殺人鬼のような人が「もっと誰にも咎められることなく人を殺したい」と願っていたとします。

すると、その人は地獄のような世界、もっと言えば、リアルFPS(戦争ゲーム)のような世界に転生します。

もちろん、そこでは何人殺してもOKですし、それについて咎められることもありません。

しかしながら、そこにいる人はみんな普通に殺しに来ますので、人を殺す前に殺される可能性も高いわけです。

しかし、そんなFPSの世界ですので、殺されても復活できますから、安心して願いを実現できる環境になるということです。

 

もう一つ例をあげると、「もっと食べたい、ずっと食べ続けたい」という願いをした人は、餓鬼の世界に転生します。

その世界は、食べても食べてもお腹がいっぱいにならない、どころか、常に空腹なわけです。

ですので、その人は満腹を気にせずに食べ続けることができ、また極度の空腹なので、最もおいしいと感じる状態で食べ続けることができ、願いが実現させることができました。

 

この例のように、願いを叶えるために理を変える必要がある場合には、輪廻転生を使って、実現させることになります。

良くない願い、不完全な願いを抱いていると、最悪な結果として、そういった世界に輪廻転生してしまうことになります。