結束は必要なのか
安保法案に対抗するために(一応)国民が結束したSEALDsという団体。
やはり、政治的に影響を与えるためには数の力もある程度必要なのは言うまでもありません。
しかし、数の力が国民の意思を無視して暴走してしまう可能性も含んでいるため、一概に是とするのは難しいという現実があります。
「デモで本当の意味で変わった国はない」という話が過去の歴史を振り返れば真実であるというのが、結束の難しさを物語っているように思います。
これは、SEALDsも例外では無いように思います。
確かに結束は必要
何か意見を通すために、結束してことに当たるのは必要というのはまぎれもない真実です。
それは、数の大きさが物事の真実を表しているという詭弁によるものでなく、多くの人間が同じ行動を起こすことによって、その行動を無視できなくなるという市場心理によるものです。
なので、社会という集団に対して意見を反映させるために、結束をすべきというのは、全く正しいことです。
では、結束の何が問題かというと、組織や集団に血が通った時から始まります。
組織や集団に血が通うというのは「同じ目的を持つから結束する」というあり方から、「結束しているからすべからく同じ目的を持つべき」というあり方に変化したことを意味します。
有志が組織になる時
有志の中から、心臓となる人間が生まれ、その者を中心として一つの個体として回そうとする時に組織は生まれます。
組織とすると、効率は良くなりますが、それは同時に集団が単細胞生物から多細胞生物になるのと同じようなもので、機能を上げるための正当な進化といえるでしょう。
多細胞生物になることにより、血が通い、完全な一つの意識体として様々なことを行うことができるようになります。
しかし、多くの単細胞生物が多細胞生物になった時点で、ガンのジレンマを抱えることになります。
単細胞生物であれば、ガン細胞はそれ単独で消滅ないし変化するわけですが、多細胞生物の場合は、総体の一部として正しくないことをする個体なわけです。
ガンについては、ここでは省略しますが、組織化する間にガン細胞が入る可能性は限りなく高く、また、対立する存在により、スパイとしてまぎれこまされる場合もあります。
暴走する組織
組織の過程としては、これにより内部分裂により組織自体が死滅する場合と、組織全てがガン細胞になる場合の2通りがあります。
死滅と言っても、完全になくなるわけではなく、分裂する場合が多く、ガン細胞は新たなガン個体として、正常な部分には新たなガン細胞を埋められて再生するという場合が多いかと思います。
結果として、元は有志だった組織も、対立組織の意に沿うような形で動かされるということが過去にも多々ありました。
それはかつて市民革命の結果として新しい特権階級が生まれただけだったとか、第二次世界大戦前に起きた大正デモクラシーという市民運動が結果として為政者の思惑通りに日本を戦争に向かわせたとか、そのあたりは挙げればきりがありません。
そして、SEALDsも今、その方向に向かいつつあるように思います。
というのも、もともとは安保法案反対のための市民の集まりであったわけですが、それ以外のことについてもSEALDsとして意思表明をしようとしており、組織総体としての意思を持ちつつあると考えられます。
怖いのが、この地盤が固まった上で、例えば、北朝鮮がミサイルを日本に対して撃ってきたといい、日本の上空で盛大な花火(ミサイル迎撃)を打ち上げると、北朝鮮に徹底抗戦すべきという方向に行く可能性もかなり高いと踏んでいます。
そして政府は一度は穏便にことを済ませようとするかもしれません。しかし、国民はそれに対し強硬な制裁を望むでしょう。そうなれば為政者の思うツボ、ありもしない事実で北朝鮮に制裁を行い、それに反発した北朝鮮をさらに懲らしめようと宣戦布告、それに乗っかるように中国/ロシアとアメリカ/ヨーロッパが対立するという、かつての朝鮮戦争さながらの自体になる可能性も否定できなかったりします。
SEALDsに対して批判的な人がいるのは、過去の出来事から、このような方向に流れていってしまうのを恐れている人だと思います。
ホリエモンも度々批判されていますが、その一部(半分くらいか?)が彼の言説でなく、彼の人格や存在そのものの否定となっていることも、この方向性を裏付けるものとなっていることも悲しいかな事実であります。
くれぐれも、SEALDsが今と同じように平和を願う団体であり続けることを祈るばかりであります。