いろいろと話題に事欠かなかったヨルタモリが終了、というのがニュースに出てましたね。
ほとんどテレビは見ない私ですが、そこかしこで話題になっていて、もはや知らない人はいないかなと。
話題のキーワードとかは、ここのブログでいろいろ説明されているので、あえて自分が説明する必要もないかなとは思ったりもしますが、やはり奥が深いですね。
やはり一貫して言えるのは、「自分が生きたいように生きることができなくなるような御託は信用できない」ということでしょうかね。
いわゆる性善説に立った考え方だと思いますが、その時に「自分が本当にやりたいこと」というのをやっていけばみんな幸せっていうのがあるのでしょうね。
こういう風に捉えると、犯罪が増えると考える方もいるかとは思いますけれども、犯罪の原因となるものって
- 友達=密接な人間関係
- 愛=執着
- 夢=絶望
- 言葉の意味の連鎖=強迫
といったものが根底にあるんじゃないかと思います。
友達との関係性を維持するためとか、友達という人間と対等でありたいとか、欲しいけど手に入らないとか、思う通りにいかないとか、世の中にあるこうあるべきだ論に追従したいとか、そんなことがあると思います。
でも、こう言ったものを否定した上で、「未来のことにとらわれず、本当に自分が今やりたいこと」を追求していければ、それは本当の意味で幸せなんじゃないかなと。
もっとも、私には夢はあります。ただし、それは「今やりたいこと」の延長線上にあるから夢なだけであって、それを誰かに宣言しようとか、それを達成しなきゃとはあまり思っていなかったりします。
そういう意味では、「夢の実現のために努力する」という感覚は私の中にはあまりないような気がしますね。
こうして拙いながらもブログ書いたり、シナリオ書いたり、動画作ったりは大変だったりもしますが、今やりたいと思っている「自分の世界」を形にしたいということの一環ですね。
まあ、夢もあって、それで生きていけたらいいなというのはあったりしますが、仕事にしたらしたで、やりたいことが苦痛になったら嫌だな、と思う自分もいたり、難しいところですね。
さて、話が逸れてしまいましたが、ヨルタモリ終了ということですが、おそらくタモリさん自身もやりたいことがたくさんあるんでしょう。
タモリさんも70歳ということであれば、残りの時間もそこまで多くはないわけですし、いろんなやりたいことをやりたいと思っていたら、1年、週1だとして大体50回ですが、そのくらいやってしまえば、もう十分で次に行こうと考えているんじゃないかなと。
私もいろんなやりたいことを、並行してやっていますが、一つに絞るんだったらせいぜい1年やって次にやりたいことをやるのがいいと思っています。
むしろ1年は人の人生で考えたら長すぎるとも思っていたりしますけれども。