時事自考

時事ネタを中心に個人的な考察を上げていきます。

自国を礼賛することの是非

自国を礼賛すること

日本の真の姿を偽って自国礼賛というデマを発しているという記事がありました。

www.from-estonia-with-love.net

この記事を読んで、なるほどな、と思いつつも、いくつか引っかかったことがあったので、記事にまとめてみました。

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日本の現状においての見解は、私個人の意見に近いものがあります。今の日本は経済的にもごく一部を除いて決して豊かではありませんし、基本的に排他的です。

かつても賃金の額からすれば低い方ではありましたが、手厚い福利厚生と海外との大きい為替格差と低賃金層における税金が格安であったことから、海外から日本で働くことのメリットがありました。

しかし、昨今は賃金はそのままで福利厚生が大幅に減らされ、海外の為替格差が減り、消費税により低賃金層においても税負担が高くなり、にも関わらず社会福祉は据え置きとなり、高い物価も手伝って先進国においても有数の低賃金に成り下がってしまったと言えます。

この辺りは、消費者の嗜好の変化などにも表れており、文化的な出費の減少と刹那的な娯楽への出費の増大は日本人の貧困化を象徴しています。というのも、貧しい人ほど刹那的な娯楽や満足に対して出費する心理的傾向が強いためです。これは本人の資質の問題でなく、貧しさゆえの余裕のなさの表れという一般的な傾向であるからこそ、日本の現状が浮き彫りになっていると言えます。

かといって、日本のサブカルについては

とは言うものの、日本のアニメなどのサブカルチャーは確かにごく一部ではあるものの、一定の層に受け入れられているのは事実ですし、ごく一部であっても凄いことだという認識です。

逆に日本人でヨーロッパ、特に東欧や北欧の文化に関して正しい知識を持っている人なんて、自分をはじめとしてほとんどいないのではないかなと思います。

そういった意味では知らないことの方が「当たり前」なのではないかと。

もっとも、少し前までは排斥されていたアニメとかのサブカルチャーを、ここ最近で掌を返して「Cool Japan」とか勝手に言っていること自体が嫌いなので、その辺を叩いている点は、個人的にはむしろ好感を覚えました。

自国の礼賛なんて、どこでもやってること

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自国の礼賛というと、あまり良くない響きですが、どの国もだいたい自国の礼賛なんて大なり小なりやっているものです。

なぜなら、国家は愛国心という忠誠心を植え付けて、国民を国家に縛り付ける必要があるからです。

そもそも、国家というのは国民や企業を働かせて甘い汁を吸う寄生虫のようなものですから、嘘でも縛り付ける必要があるわけです。

あのアメリカですら、数千万人の国民が貧困に喘ぎ、デトロイトなどの一部の都市は廃墟のようになっているのですが、そういったことを見て見ぬ振りをして素晴らしさをアピールしているわけです。(とはいえ、日本の最近の虚偽報道は度を越していると言っても過言ではありませんが)

結局のところ、メディア/マスコミの大半は国家に認められた特権階級みたいなものなので、当然国民よりは国家の利益を優先するわけです。その結果として、誇張や多少の虚偽があったとしても自国を礼賛する記事を書くなど当然のことであったりします。

だからこそ、我々国民は一人一人リテラシーを高め、メディアに踊らされないようにする必要があるわけです。さもなければ、国家に良いように踊らされて、最後はボロ雑巾のように捨てられることになるでしょう。

現に、日本の一部の人は、そういう状況に追い込まれています。

情報に踊らされないように

今後、今の体制を維持し、国民を奴隷として使い潰すために、マスコミやメディアは嘘や目眩しの情報を今よりも頻繁に流すようになるでしょう。

kaleido11.blog.fc2.com

それに踊らされていると、肝心な時に動けずに手遅れとなる可能性も出てきますので、少なくとも、2018年いっぱいまでは情報の感度をできる限り上げておいたほうが良いでしょう。

もちろん、今の情報にあえて踊らされて、今を楽しく生きるというのも一つの選択肢だと思いますし、そういった選択も十分ありだと考えます。苦難の時代が訪れるかもしれませんが、それが永遠であるとは限りませんので、その選択も十分賢いと言えます。

しかしながら、それであっても自分で選択肢を把握した上で、自分で選ぶようにできるようにはしておくに越したことはありません。