時事自考

時事ネタを中心に個人的な考察を上げていきます。

高校野球の連投について

青春時代の後悔は後に響きます

高校野球で184球連投したということでニュースがありました。

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 これに対して色々と言われておりますが、一番は監督の采配の是非(主に非)かという気がします。

もちろんではありますが、学生に対して教師(監督)は怪我等をしないように注意し、必要に応じて指導を行う義務があります。

だからと言って、「別の選手を」とは言いにくいのが実情だと考えられます。

と言うのも、プロ野球と違って一度負けたら終わりなため、仮に交代して負けてしまうと「あそこで交代しなければ」と考えるでしょう。

もちろん、交代を希望していて投げ続けさせるのであれば、監督は非難されて然るべきでしょうが、選手が投げ続けたいと言っていれば、強く言うのは難しいでしょう。

もちろん、状況を見て交代させるというのは必要ではありますが、それ以上に後悔させたくないと考えるのが自然と思います。

一生に一度の機会ということであれば、なおさら不完全燃焼で終わったら後悔は大きいでしょう。

そもそも無理をさせるような仕組みが問題

高校野球の問題で本当に非難されるべきは監督ではなく高野連でしょう。

と言うのも、ルール上無理をしなければいけないように仕組まれているからです。

過密な大会スケジュールに加えて、負けたら終わりというルールでは「無理をしてでも・・・」とならない方がおかしいです。

こういうことを言うとプロ野球を引き合いに出す方もいますけれども、プロ野球は負けたら終わりというわけでは無いため、トータルとして勝てばOKですのでローテーションを組みやすいわけです。

それは監督の采配の問題ではなく、ゲーム自体のルールの問題でしょう。

仮にプロ野球でも負けたら終わりというルールだったら、常に最善の布陣で臨まないとファンから監督が思いっきり叩かれるでしょうし、外された選手からも叩かれるでしょう。

それと同じで高校野球の問題はルールの問題であって、それを監督に責任転嫁しているだけとしか考えられません。

結局のところ利権なのだろう

この問題は高校野球という色々な利権の絡んだスポーツだからと言うのが大きいと思います。

球数制限を設ければ、それにより不利益を被る人がいるのと対照的に利益を得ることができる人もいるわけです。

一つは、エースの控えの投手の人で、甲子園で投げられたというだけで一つの肩書になる上、仮に良いプレイができればスカウトの可能性も出てくることを考えると球数制限により出場機会が得られるという点では利益を得ていることになります。

もう一つは対戦相手で、本来ならエースを崩さないと勝てない状況で、球数制限があれば逆転勝ちも期待できるようになりますので、特に負けたら終わり(=まぐれでも勝ちは勝ち)というルールでは得られる利益は非常に高くなります。

おそらく、こういった問題を提起している人は、このような利益を狙いつつ、投手の将来という大義名分を掲げているのだと考えられます。

そうでなければ、そもそものルールの方が問題あるのに、それをスルーして監督を責めて球数制限を導入しようとしていると言うのは正当なようで不自然に感じます。