最近の若者は、というけれど
最近の若者は仕事を拒否するとか嘆く人も多いのですね。
ということで、見つけたこんな記事。
それを作り出したのは、今の老人連中です
確かに現代の若者ってやりたくない仕事は断るという場合もあるのはなんとなく理解していたりします。
でも、これの原因を作ったのが、少し前の日本の成果主義だというのに気付いていない哀れな人が多いなと思いますね。
この記事でも書いてあるように、年功序列は確かに弊害は多かったですが、嫌な仕事で、成果があげられないようなものであっても続けていれば評価されるという安心感のようなものがあったわけです。
その感覚が成果主義や中間管理職のリストラによって崩されてしまった。
子供心に親の絶望感は強く心に刻まれています
今の若者は、この成果主義によって会社のためにと思ってやってきたことが、成果が上がっていないと否定されたり、会社のためとやってきたけどあっさり首を切られたり、といった現実を目の当たりにしてきた世代でもあるわけです。
もちろん、これは本人でなく、ちょうど両親の世代がそうなったわけですね。
両親の世代は、ちょうど会社のため、会社のためと理不尽な仕事でもやってきたけど、あっさりリストラされる。
子供ながらにそれを見ていれば、当然のごとく、成果を上げることこそが会社で生き残る道、と考えても不思議じゃないわけです。
どんなことでも仕事はしてもらったことに感謝です
とかく、この嫌な仕事の半分くらいは苦労の割に成果(とくに数字的な)が見えないものが多かったりするわけです。
そんな仕事を今の若者に頼んでも、「この仕事は成果として認められにくいから、やるだけ無駄」と思ってしまったとしても、ある種、自業自得なんじゃないかなと。
それでも、半分以上の人はとにかくやって、と言えば、とりあえずはやってくれるとは思うのですが・・・。
結局、人事考査の際に数字だけ見て、成果上がっていないと評価されて、いい評価をもらえない、なんて結果が多いわけで、そうなると、当然ながら頑張る必要性を感じなくなるわけです。
ある意味プロですが
結局、今の若者を否定する現実を作ってきたのが、今のおっさん連中(まあ、自分もそっち側ですが)なわけで、それを棚に上げて若者を否定するのはどうなのかなと思ったりもします。
そういうところにプロ意識を持ちだす人もいるわけですが、本当にプロであれば、割の合わない仕事は断るのが当然なんですよ。
ボランティアじゃないですから。
当然、支払われる対価に見合ったものまでしか提供しないのが普通です。
この辺を理解していない人が、やっぱり多いんじゃないかなと思いますけれどね。
確かに、多少見合わない仕事でも受ける場合はあります。
ただそれは、そのあとに割のいい仕事を受けられるとか、結果として利益を享受できると判断できる場合なんですよ。
そうでなければ、受ける理由なんてあるわけないです。特にプロであれば、自分のコスト意識も持っている方が、よほどプロらしいと言えます。
日本社会って過剰にサービスを求めすぎな気もします
私個人の考え方で言えば、従業員は役務提供でいいと思っています。
別にプロ意識も成果もいらない、給料に対して時間を売ってくれるという感覚が適切かなと思っています。
その時間の中で実作業や、会社や従業員間のコミュニケーション、従業員としてのスキルアップなどに一定の割合ずつ割り当てる感じのイメージかなと。
その上で、スキルが上がってきたり、やりたいことが出てきたりしたら、社外に出て会社を作るもよし、社内プロジェクトや社内ベンチャーでリスクを低くしながらやっていくのもよし、かなと思っています。