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時事自考

時事ネタを中心に個人的な考察を上げていきます。

お金の奴隷について考えてみた。

キングコング西野さんのブログが炎上(?)したようですが。

というのを、Facebookで見かけたので、一つ記事を書いてみようと思っていましたが、同じテーマを扱っているこちらのブログを見つけたので、ちょっと読んでみました。

mistclast.hatenablog.com

個人的な見解でいえば、商売の基本はリソースを提供して対価を得ることだと思っています。

リソースには商品だけでなく、コンテンツ、労働力、知名度、信用、利便性、満足度など様々ですが、対価を得るために使用することができるもの、となります。

対価についてもお金だけでなく、情報や時間などであったします。

彼が芸能人として築き上げた知名度と信用を利用して、ソーシャルファンディングで出資を募り、絵本をプロデュースして商品を売った。さらに商品の価値を知ってもらうために、コンテンツそのものを広告としたわけですが、これは絵本という商品の対価はもちろんお金ですが、コンテンツの対価としては時間を設定したわけです。

サービスを無料で提供しているものは、Googleならデータそのものが対価と成っていますし、ソーシャルゲームであればユーザーの時間を対価として受け取っているわけです。

この辺りの考え方は基本的に近いのかなと思っていましたが、「芸人としての知名度」を武器としたことを邪道と断じていることはどうなのかなと思います。

この点における間違いの一つ目は彼が使ったのは「芸人としての知名度」ではなく「芸人として築き上げた信用」であるということです。何故なら、他の知名度のある芸人が「絵本を作ります。」と言って、同じように投資を集められるとは限らないためです。

そして、もう一つの間違いはクリエイターが作品に使った時間と同じか、それ以上に彼は芸人としての信用を上げるため、そして絵本を作るための信用を得るための行動に時間を費やしてきたわけです。

ビジネスを大きくできない人はリスクを負っていない

よく言われる話ではありますが、ビジネスを大きくできる人とできない人の差はリスクの差であると言われています。

彼も自分自身の信用をリスクにして絵本を作ったわけで、ごく普通のビジネスパターンかなと思います。成功したから今の状態になっているだけで、仮に失敗していれば悲惨な結果になっていたかもしれません。

そこで違和感を感じたのが

クリエイターは、本来、作品しか武器がない。

キングコング西野の件は「炎上」では足りない - MistiRoom

 という部分だったりします。

もちろん、作品はリソースの重要なファクターを占めているのは間違いありませんが、それだけ、ということは無いかと思います。知名度があれば成功するというのであれば、知名度を上げるようにすれば良いと思います。

幸いにも、今は動画サイトなどの知名度を上げるプラットフォームがあるため、ひと昔前に比べればはるかに容易に知名度を上げられるでしょう。(とはいえ狭き門であることには変わりませんが)

お金の奴隷になっている人は非常に多い

こちらの記事で説明されていますが、お金の奴隷という表現があります。

lineblog.me

しかし、現実としては(自分も含めて)お金の奴隷になっている人は非常に多いです。

それも無理からぬこと、お金の奴隷になるように色々な仕掛けが作られているからに他なりません。

お金、というのは「信用」を物質化したものであるのですが、人々をお金の奴隷にするためには、お金以外の信用を流通させなければいいわけです。

そのために地域のコミュニティを弱体化させ続け、企業という「お金」によって成り立っているコミュニティを強化し続けてきました。結果として、お金こそが唯一の信用を表すものとして確立していきました。

もちろん、世の中の全ての人に信頼関係があるわけではありませんので、それらの間でやり取りをするために、お金は重要ではありますし、このブログでもそういった商品があることについては否定していません。

しかし、信用とは相互関係である以上、一方的に信用してもらうだけでは成り立ちませんので、彼は「自分の作品を見て良いと思ってくれた人は買ってくれるだろう」という信頼を自分から示したわけです。

その行動の結果として彼の作品の信用も上がって、決して安くない価格設定であったにもかかわらず売れたのだと思います。

もし、お金の奴隷になって、全ての価値基準をお金に換算するのは、彼が言うようにダサいのかもしれません。しかし、対価として求めるものがお金に限らない、と考えると対価を求めることは否定しておらず、むしろ何らかの対価を求めるべきなのかなと思います。

togetter.com

逆に対価そのものを求めないことは、ここで言われているようなダンピングに当たるものでしょう。彼はコンテンツそのものに対しての対価としてお金ではなくコンテンツを見て評価する時間や労力を対価として消費者に求めていると考えると、何らおかしいことは無いように思います。