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時事自考

時事ネタを中心に個人的な考察を上げていきます。

同調圧力という名の強制力

特に日本は激しい同調圧力

日本特有な考え方ではありますが、同調圧力というのがあります。

こちらの記事に書いてあるみたいに、同調圧力に押されてという事例は非常に多くあると感じます。

この文化は日本特有であるというのは、海外に展開している企業でよく聞く話から推測できます。

特に、日本は勤務時間後に飲み会を行う場合が多く、そこでコミュニケーションを取るという考え方のため、それに参加しない場合にはコミュニケーション不足という認識を取る場合が多々あります。ですが、海外においては勤務時間外で社員を拘束するのは非常識である場合が多く、このことが現地社員との軋轢を生むという事例は枚挙に暇がありません。

心の狭い日本文化

日本人は「和」を重んじる素晴らしい民族だという風に思っている方が多いと思いますが、個人的には全く賛成できません。むしろ、この考え方が心が狭いと思ってしまいます。

なぜなら、「和」に従う者は味方、「和」を乱すものは敵という二面的な解釈しかしないためです。本来であれば、個々人の思想が全く同じということはありえません。ある事柄については同意するが、別の事柄については拒否するというのは、至って普通のことですが、日本においては、事柄ごとに見るのではなく、相手そのものを見て「敵」か「味方」かに分類します。

しかも、「和」を乱す側、拒否する側の方が重く見られる為、そう言った面が見られると、原則として「敵」になります。もし、他の点で同意したりしていたとしても。

しかし、そう言った考え方は個人的には非常に心が狭いと思いますし、何より救われないのは、ごく一部の拒否の考え方を許容して「味方」と考えることを心が広いと勘違いしていることです。

もっとも、個人に集約されるのであればマシな方で、この記事に書かれているように、「和」の実体がどこにも存在しない、という場合も少なくありません。また、それで、誤った選択をすることも、また然りです。

異質なものを受け入れない文化

日本人は、異質なものを遠ざけようとすることが多々あります。もちろん最たる例としては海外の文化に対してのものですが、それ以前に、ステレオタイプとして当たり前になっていることが非常に多くあります。

例えば、サラリーマンのスーツなどは最たる例だと思います。フォーマルな服装ということであれば、スーツ以外にも和服でも良いはずですが、スーツでないと「何だこいつは」と思う方は非常に多いです。これも一種の同調圧力と言えるでしょう。(もちろん、制服があって支給されているのであれば話は別です。)

なぜ、こういう考え方になるかというと、人間関係の原則が「相手も自分と同等であり、同調している」と考えられているためです。それゆえに、相手の事情を深く考慮せず、親切の押し売りのような状態になることがあるわけです。

最近は個性を認める場面も増えてきましたが、その実態は個性を「異質なものから目を背ける」言い訳に使っています。よく言われる「あいつはそういう奴だからしょうがない」というのは、非常にわかりやすいかと思います。あまり詮索するのは、それはそれで問題ですが、この言葉の意図は「相手が異質だから無視しよう」と言っていることと同じです。結局、「異質」なものを受け入れてはいません。

違うことを生かす文化に

本質的に言えば、全く同じ考えを持っている人なんているはずありません。そして、進化の過程においても、多様性が失われた種は原則として絶滅しています。本来であれば、違うことを活用してこそ、繁栄が持続されるわけで、そう言ったことを文化として取り入れることができなければ、日本は立ち遅れたままとなるでしょう。

現実問題として、難しいことではあると思いますが、一様より多様を受け入れられるような考えが広まっていくと良いかなと思います。