時事自考

時事ネタを中心に個人的な考察を上げていきます。

日本はいつから歪な国となったのか

絶望ばかりの日本

こちらの記事にもあるように、日本は現在全体的に絶望感が高くなっています。こう言った絶望感の高さは治安が不安定になる原因となり、結果として、ディストピアな社会を招く要因でもあります。

ディストピアと言っても、超監視社会の他に、アメリカのスラム街のように法が及ばない社会であったり、かつての文化大革命のように国家が国民を強権支配する社会であったりという可能性も含めてです。

先日あった事件についても同様ですが、こちらのブログのように客観的に考えられることが少なくなっているのかもしれません。アイドルとしてキャラクターを売るのも関係性を売るのも、歌手の歌や作詞作曲も本人とは切り離された商品であるという認識が正しいと考えています。

関係性を売る仕事として考えると、まず第一に思い浮かぶのは、やはり水商売、いわゆるキャバクラなどだと思います。だから、よく言われているように今のアイドルはキャバ嬢にアイドルというラベルを貼っているだけに過ぎないというのは、強ち間違って居るというわけではありません。

歪ゆえに起こる事件

少し話が逸れましたが、こう言った事件が発生する遠因として、社会の歪さがあると考えています。アイドルのキャラクターとか、歌手の歌などは芸術に近い物だと考えると、こういった事件が起こるのは芸術を解さない人間が増えていることの証左であると考えます。中国の文化大革命などは、そう言った例の最たるものかと思います。

では、日本は具体的にどのように歪なのかを見ていきたいと思います。

偏愛的な社会

これは簡単に言うと、一方的な愛を求める社会ということです。この愛というのは男女の恋愛ではなく、普遍的な愛であります。

例えば、欧米であれば、従業員は極めてドライです。具体的にはあらかじめ決めた仕事以外はしませんし、時間外に無給で働くなど1分であっても以ての外です。その一方で会社側も極めてドライで、リストラ、いわゆる雇用契約の改定や破棄なども冷静に行われます。雇用契約という一つの信頼関係によって、ウェットな関係を築いています。

その一方で日本においては会社側はウェットであることを期待している場合が多々あります。例えば、社員は手が空いているなら規定外の仕事でもすべきとか、経営的目線を期待するとか、社員の忠誠心を期待するとかいったことです。その一方で会社側の対応はドライです。報酬は規定に沿って行いますし、不要と判断すればすぐにリストラしますし、非正規雇用として正規の雇用契約を結ばないといったこともあります。

ここではあくまで一例ですが、こう言った事例が日本には多くあり、これが日本の歪であるという一つの要因です。

変わらない思考

日本は一般的に見ても保守的な文化です。天皇制もそうですが、政府や政治家、企業に至ってもそうです。もちろん、世界的に見てヨーロッパなどのように保守的な文化を持つ国は少なくありません。

しかし、そういった国の多くは過去の経緯もありますが、国民のための政治という側面が強い場合が多くあります。具体的には社会福祉に対する政府の支援が大きい場合が多いということです。その一方で日本はというと、国民のための政治というのはほとんどありません。ほとんどが大企業に対する政策と言えます。

これは、旧態依然の福祉的な要素を大企業に丸投げしていた時代の名残ですが、現在においては、そんなこと期待することは当然できません。しかし、天皇を始めとして政治家や企業は旧態以前の仕組みにあぐらをかいているわけです。

このことも、日本が歪になっている原因と言えます。

ラベル貼りと言葉狩り

日本によく見かけるのはラベル(レッテル)貼りと言葉狩りです。実体は変わっていないのに、言い換えてごまかすというやり方です。

先ほどの例で言えば、キャバ嬢にアイドルというラベルを貼って売り出すとかです。言葉狩りも同じで問題のある言葉を別のラベルを貼って誤魔化すというやり方です。

このことを考えると、日本は言い換えて誤魔化す文化だと言えます。このこと自体は寛容さという側面から見れば素晴らしいことではあるのですが、こちらも一方的に使われることが多いということです。

例としてあげれば、先日の舛添都知事の発言のように、言い換えのごまかしを使って言い訳をしているわけですが、その一方で、国民に対しては税金のように誤魔化しをできる要素を徹底的に排除するわけです。一方で誤魔化しを許容するような甘えを作り、一方では誤魔化しを許容しないように厳しくする、これは間違いなく歪みと言えます。

このような経緯を考えれば、舛添都知事がバッシング食らうのも自業自得としか言いようがありません。

過去を捨てるのか、過去に戻るのか

今のように歪な状況を続けていれば、間違いなく日本はディストピア的未来に一番乗りとなります。こう言った歪の始まりは、間違いなく明治維新になります。中途半端な西洋文化の取り入れ、これまでなあなあだった税を厳密にするなどの変化はここから始まっています。

つまり、日本がこれからまともに生き残るためには、江戸時代以前のようないい加減だけど風通しのいい文化に戻るのか、それとも過去を全て捨てて文明に染まるのかの二択だと思います。過去と言っても、安倍某の目指している戦前回帰ではありません。

何れにしても、今の旧態的な政府や大企業は一方的な甘えしか許容しない害悪であるからして、潰す必要があります、また、仮に後者を選んだのであれば、天皇も不要になるでしょう。個人的には前者の方が良いと考えますが、どうなるかはわかりません。

もう一つ選択肢があり、日本という国を捨ててしまうというのもあります。

 

ちなみに、この記事を書いていて、少し前に「日本死ね」って言っている人がいたことを思い出しましたが、私からしたら「日本は既に死んでいる」という感じですね。