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時事自考

時事ネタを中心に個人的な考察を上げていきます。

日本流「おもてなし」の問題点

「おもてなし」をよく耳にするようになったが

最近、「おもてなし」という言葉をやたらと耳にするようになってきたが、個人的には本来の意味での「おもてなし」とはかけ離れているんではないかと思ったりしています。

そのことを考えるきっかけになったのが、以下の記事。

インドネシアでの高速鉄道受注で日本が負けたわけですが、この記事を読む限り、負けて当然かなと思います。

というのも、日本としての主張は正論です。国際的に協力しあって、発展に寄与する。という能書きは良い事だと思う方が多いのではないかと思います。そして、負けた理由を中国のルール破りとロビー活動という2つの点に求めているわけですが、実際に日本が負けたのは「おもてなし」という点で中国に及ばなかったというところだと思います。

「おもてなし」は誰のため?

わかりやすく料理という分野で考えてみると、「おもてなし」というのは、「常に最高の料理を提供すること」ではなくて、「顧客の状態を勘案して、最良の料理を提供すること」のように思います。この2つ、どちらも同じ事のように思いますが、例えば、食べる人が体調が良く無い場合、本来であれば、冷たくして食べるものだったとしても、人肌の温度で提供する、しかし、そのまま温めただけでは味も違ってくるため、その状態で最良になるような味付けに変えるというようなことかなと思います。

ここで大事になってくるのが体験というもので、顧客にどのような体験をしてもらうかというところを考えて、プロとしてベストの選択肢を取るのが「おもてなし」なのではないかと思います。

日本が欠けていたもの

この記事の話から考えると、日本が提供しようとしていたものは前者で、中国が提供しようとしていたものは後者なのではないかと思います。日本の新幹線のクオリティの高さは言うに及ばないと思いますが、結局、先の理由もそうですが、全て提供する側の論理でしかありません。

「おもてなし」の考え方で言えば、全ては顧客の満足にあるものと考えられます。しかし、顧客からしてみれば、ルールを守ったかどうかなんて関係ありません。取り得る事の出来る範囲の中で最良は何かを求めているだけです。要は、日本はその点で中国に及ばなかったというだけの至ってシンプルな話で、理由は単なる言い訳だと考えられます。

ここで、日本には「おもてなし」の考え方が無くなっているのか、変わっているのか、と言われれば、「NO」であると思います。というのも、日本は割と利用者が使いやすいようにという考え方を持っている技術者の方は多く、たいていの方はそうやって改善をしていっていると思います。ただし、あくまで技術者(デザイナーなども含む)の話ですが。

では「おもてなし」が欠けているのは何かというと、営業や経営の部分ではないかと考えられます。そうではない人も相当数いるのは知っていますが、多くの営業や経営は顧客の方を見ていません。そして、何より当事者意識が無い場合が多いですね。これは東電原発の件、東芝の件、建設設計偽造の件などからもよく現れています。

そういった現場は常に最善の努力をし向上に努めているという世界的に見ても非常にレベルの高いものであるにもかかわらず、肝心の営業や経営が商品に胡座をかいている状態、これが日本が多くの分野において世界で負け続けている理由でもあるかと思います。

結局のところ

日本に「おもてなし」の考えが無い、あるいは変質しているということは無いと思います。少なくとも現場においては「おもてなし」の考え方は息づいていると思います。それは、現場については顧客にも商品にも向き合う機会が多いからではないかと思います。

そういう意味では日本で本当になんとかしなきゃいけないのは、「商品」にも、時には「顧客」にすらも向き合う事がなく、「リスク」さえも負う事の無い(東電みたいに何かあっても天下るようなことが可能)営業や経営の方ということです。同じことが政府首脳にも言えるわけで、日本の「おもてなし」が何か違う印象を受けるのは、このことが原因と考えられます。

日本が世界の市場で復活するためには、こういった人間を排除しない限りは難しいかなと思います。